パリの日本人 100年前

マイヨール美術館で7月まで開催されている「フジタ展」に行ってきました。

実は、それ程思い入れがあるアーティストという訳でもなく(笑)… ピカソやモディリアーニ、シャガールなどが活躍した「エコール・ド・パリ」の画家という知識ぐらいしかなかった。

展覧会に行こうと思ったのは、母の一番好きな画家なので…
母の日のプレゼントに、展覧会カタログを送ってあげようと 思いついた為です。

しかし、行ってみると 結構、興味深いものがありました。

Fujitaじゃなくって、Foujita。フランス語ではFuだとフュになっちゃうので、本人がそうサインしてるとか。

「エコール・ド・パリ」という美術のムーブメントって、昔から好きです。
エコールドパリの画家って、特に共通の何かがある訳ではない。強いて言えば、その時代、その場所(パリ)にいたと言うだけ…
シャガールとローランサンの甘い感じが特に好きなんですが(^^)

第一次世界大戦と 第二次世界大戦のはざまの…
ほんの僅かな、平和で裕福だった時代。アバンギャルドな流行。フランスでは、「レ・ザネー・フォル Les années folles (狂った時代)」と呼ばれています。
この時代に興味がある、と言うのもあります。

新しい美術のムーブメントが外国人の画家を呼び寄せ、モンパルナスという 当時はまだ新興開発地だった場所に、多くの画家のアトリエが築かれたとか…

(今回のフジタ展も、モンパルナスから程遠くないマイヨール美術館です)

展覧されているドキュメンタリーの映像で知ったのですが… 「エコール・ド・パリ」の画家って、移民ばかりだそうです。ロシア(シャガール)だったり、イタリア(モデイリアーニ)だったり、スペイン(ピカソ)だったり…日本だったり(笑)。

彼らは「フランス人ではないが、パリジャンだった」

パリがそんなコスモポリタリズムの時代、あったのね〜(笑)。

もう、100年も前の話。

フジタは、第一次世界大戦が始まる一年前1913年にパリに着。
戦時中は経済的に苦労したようですが、パリにとどまり…
戦後、パリの寵児と呼ばれるくらい成功します。
世界恐慌が起こり、経済的に不安定になってきたパリを1931年に離れ、南米へ行き、33年に日本へ帰ります。
その後、1939年にまたパリへ渡りますが… 今度は第二次世界大戦が始まり、日本へ帰らざる得なくなる。
戦後、1949年にまたフランスへ。フランスに帰化し、この地で亡くなります。

さくっと書くとこんな感じですが、それぞれの時代にそれぞれの女性がいたりして…(笑)。
全部で5回ぐらい結婚してる😆

でも当時の映像を見ると…かなりオシャレ。洋服も着物もかっこよく着こなしてるし…
当時の写真家が撮ったフジタの半袖の写真が数点ありましたが、二の腕ムキムキだし💪 独特のオカッパ頭とメガネ

モテたんだろうな〜と推測します(笑)。

それにモデル、画家、歌手、ダンサーなんかがくっついたり離れたり… ボヘミアーンな時代です。

そんな中で成功していた彼は、結構注目の的だったんだろうなあ…

フジタの住んだパリってどんなパリだったのかなぁ… と想像します。

パリの風景…

フジタが住む少し前に渡仏していた彫刻家・詩人の高村光太郎のエッセイで、「珈琲店より」と言うのがあります(青空文庫で読めますよ〜)。

なんともデカダンな感じで、フジタもこんな風に過ごしてたのかなあと想像。

2大戦の合間をぬって、パリで外国人として生き、最後に死場所としてフランスを選んだ レオナルド藤田…

私もそんな時代のパリに生きてみたかったな〜と、ちょっと思います(笑)。

ちなみに、フジタのエピソードで面白かったもの :
初めて成功した個展で得た収入で、熱い湯のでる風呂🛀を改装した… って。
それ以来モデルさんたちが喜んでアトリエに来るようになったとか(笑)。

日本の風呂〜(^_^)。
やっぱり日本人… 欲しいのは、そこか? みたいな(笑)。
でも、パリの気候だったら… 熱い風呂入りたくなるわ。分かるよ〜〜、100年経っても!(笑)

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